智福院の由来と年表

蟹王山智福院の由来

名取市愛島にある蟹王山智福院は、三十六代目の亀井光昭大和尚が務める七百年以上の長い歴史を持つ寺です。

智福院では弁財天、そして山号の如く『蟹』を祀っています。

弁財天は七福神の紅一点として有名ですが、そもそもインドのサラスバテイという河辺に立つ仏教以前の他の宗教の女神です。

水・農業・音楽・財宝の神様として信仰されています。

そして蟹を祀っている寺は珍しく、県内のみならず全国から多くの人が訪れます。

十数年前に住職が、植木の腐葉土を取ろうと庭を掘っていたところ、偶然にも銅製の蟹の像を発見。

まさかそこにあるとも思わず偶然に発見したという不思議な話です。

そして、このご神体ともいえる蟹の像は寺の宝として大切にされています。

なお、蟹の像は寺を訪れた方はご覧いただけます。

また、新たに弁財天と蟹の石像を市内の業者により建立。

手に琵琶を持つ弁財天と、大きな蟹の像と解説を刻んだ石碑があります。

なぜ蟹?蟹王山とは

智福院弁財天の由来

郷土史研究会の有志で結成された「名取市古文書を読む会」にて「風土記御用書出(一七八一年・江戸中期)」を調べると、

笠島村(現名取市笠島)の地名の由来が記されてあり、また、弁財天社の縁起は、地主弥右衛門が所持していると記されてありました。

そこで地主弥右衛門の子孫である猪俣昭一さんを訪ね、先祖代々大切に伝えられてきた縁起を見せて頂き、解読しました。

縁起は巻き物状になっており、まるで漢文のようです。

弁財天社の縁起

弁財天(べんざいてん)とは

弁財天 弁舌・音楽・財福・知恵などをつかさどるインドの女神(めがみ)

弁舌・音楽・財福・知恵などをつかさどるインドの女神(めがみ)。
その像は美しい顔をもち、琵琶(びわ)をひいている。
美音をもって衆生(しゅじょう)を喜ばせるという。
わが国では後世、吉祥天(きちじょうてん)と混同し、財宝を与える神として信仰された。
七福神の一つ。

智福院 弁財天年表

康平31060『今昔物語』世に出る
英歴11160笠島村に寺院開山される。
(宗派・寺の名称も不明)
建長21250笠島弁財天創立される。
西安11299蟹王山物語が出来る。寺号を蟹王山智福院と号す。
沼の中の島に弁財天の社殿を建立する。
応永71400この頃、智福院荒廃無住となる。
永享81436曹洞宗智福院開山する。
慶長71602笠島弁財天、野火のため焼失する
享保21717笠島村上平の弥右衛門(猪俣)、弁財天の社殿を建立して、尊像を納める。
宝暦21752弥右衛門、大年寺10世湛然和様に依頼して新しく縁起を作る。
明和71764智福院、火災に遭い焼失する。
昭和61931弁財天の社殿老朽化、信者により再建する。
昭和191944食料増産のため弁財天撤去される。
弁財天を智福院と北目の福寿院に分散して移す。
平成51993智福院境内に蟹王山の堂社を再建して『蟹王山弁財天』と命名する。
平成71995亀井光昭師、智福院36世として住す。
平成101998智福院境内に蟹と弁財天の石像を建立する。
山号を再び『蟹王山』に戻す。
毎年3月第2日曜日、蟹及び弁財天の供養会を行う。

當山三十六世瑞応光昭 大和尚略歴

當山三十六世瑞応光昭 大和尚
當山三十六世瑞応光昭 大和尚

光昭和尚は、駒澤大学卒業後、三井不動産販売にて勤務、その後実家である蟹王山智福院に住職として就任します。

当時の状況は、廃寺と言われる程ひどく、現在の状況に復旧させるのに時間と費用がかなり発生したと当時を知る檀家の皆様ともに協力していただき今に至る事を思い出します。

蟹王山智福院は歴史も由来も特性があり、この時代だからこそ後世に残し、地域の人々の暮らしと歴史、思いや願いを伝えるべく存続させるべきお寺だと確信しております。

地域の小学校も、毎年子供たちがお寺を訪れて学んでいかれます。

蟹を祀るお寺として、子宝と財を成し、弁財天とお釈迦様のご加護のもと、座禅で導き地域に密着した「蟹王山智福院」として地域貢献に役立つよう、祈りを捧げて参ります。

誕辰昭和20年1月3日
得度昭和41年5月5日
泉昌寺 亀井光一に就いて
立身昭和41年冬前
満蔵寺 佐藤隆馬に就いて
伝法昭和62年7月31日
泉昌寺 亀井光一の室に入って
転衣平成5年1月22日許状を受く
瑞世平成6年5月10日
大本山永平寺 拝登
平成6年4月27日
大本山總持寺 拝登
僧階一等教師
色衣平成6年9月29日
教師補任平成6年5月24日
二等教師
平成27年6月11日
一等教師
住職平成6年9月29日
第四教区智福院住職に就任
宗門歴平成6年
名取市仏教会会長
平成26年12月11日
人権擁護推進委員会委員
        4年就任
平成26年12月11日
人権擁護推進推進主事
        4年就任
学歴県立築館高等学校
駒澤大学
職歴三井不動産販売にて28年勤務
寺門興隆本堂屋根全面茸替
庫裡増改築工事
墓地造成
蟹王山弁財天石仏建立
歴代住職墓地建立
永大供養塔建立
本堂内内装工事
庫裡内装工事